第三帝国極悪伝説外伝 イギリス編
ドレスデン壊滅の夜

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ドイツ東部ザクセン州の古都ドレスデンは45年2月13日、英空軍の猛爆撃により一夜のうちに壊滅した。これは無差別の都市空爆であり、連合軍のドイツに対する戦略爆撃の無慈悲の頂点を刻むものである。43年7月のハンブルク大空襲と並び、欧州戦線における連合軍の最大級の戦争犯罪と言える。

連合軍は44年に入ると、ほぼドイツ全土の制空権をその手に握り、ベルリン、ポツダム、マグデブルグ、プフォルツハイム、ダルムシュタット、ハイルブロン、フライブルグなどの各都市に、次々と壊滅的空襲を加えていた。

42年には既に連合軍の爆撃目標は軍事施設から都心の人口密集地帯へとシフトしていた。一般市民への配慮は一切なく、技術的に精密爆撃が可能であったにも関わらず市街地平面爆撃が継続された。これは英空軍爆撃軍団司令官アーサー・ハリスの方針によるところが大きかった。

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アーサー・ハリス

戦争の最終段階においての爆撃による都市の絶滅は、戦略的には全く無意味であった。ましてやドレスデンは無防備都市を宣言してはいないものの、いくつかの軍事工場と官庁、兵舎が存在していたことをのぞけば戦略的に狙う意味もない都市であった。ドイツ軍もドレスデンが狙われることもあるまいと高射砲部隊を東部戦線へ引き抜き、空軍の迎撃部隊は慢性的な燃料不足に苦しんでいた。まさにノーガードのドレスデンにランカスター重爆とモスキートの混成部隊が襲いかかろうとしていた。

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ランカスター重爆撃機 全長21メートル、約10トンもの爆弾を搭載できた

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モスキート爆撃機 木製でレーダーにつかまりにくく、高速性能を誇った

この爆撃に理由があるとすれば前線に迫るソ連赤軍に英空軍の実力を見せつけること、また有り余る爆弾を消費すること、ドイツ国民の戦意を阻喪せしめること、が挙げられてれている。

ドレスデンは元々の人口60万の市民に加え、東プロイセンで狂態を繰り広げる赤軍から逃れた難民で溢れかえり、100万以上の人々でごった返していた。またドレスデンは道が狭く爆撃に弱い構造で火災旋風を意図的に引き起こす好条件が揃っていた。一人でも多くの人間を殺し一つでも多くの建物を灰にすること。これは首尾よく火災旋風をひきおこせるか否かにかかっていた。当初から爆撃の目標は黙示録級の大破壊であった。

さて、この連合軍による≪サンダークラップ(雷鳴)作戦≫はその他にベルリン、ライプツィヒ、ケムニッツなどの交通の要衝が目標となっていた。

サンダークラップ作戦の最初の段階では米第八航空軍による”フライングフォートレス”B17爆撃機約1000機をもってベルリンに対して敢行された。計画では2000の爆撃機によって5000トンの爆弾を投下し11万人を殺戮する計画であった(!)が、投下された爆弾は2266トンであり、戦果はたったの3000人足らずであった。

これは東京大空襲の焼夷弾投下量1800トンに対しての死者10万人を考えれば話にならない数字であった。米英軍の合同参謀本部が頭を抱えたのは言うまでもない。ベルリンは防空体制はお粗末だったが絨毯爆撃をするにはあまりに広かった。このことが被害を著しく緩和したのであった。

しかしドレスデンはそうはいかなかった。歴史的な旧市街地に建物が集まった都市は火災旋風に弱かったのである。英空軍第五爆撃航空群は正確な抹殺の達人技を目指して訓練を重ねドレスデン壊滅という任務を遂行した。

運命の日、2月13日午後、英国では重爆撃機1164機が出撃準備を完了していた。うち796機のランカスター重爆とモスキート9機が3時間の時間差をもってドレスデンに二重攻撃をしかけた。第二次攻撃が本丸であり、第一次攻撃でドイツ空軍の迎撃を排除し、生じた火災による消化作業を第二次攻撃で妨害し、一人でも多く殺す。これが作戦の本態である。

第一次攻撃でランカスター重爆がたったの20分の間に投下した爆薬量は800トン以上であった。爆撃軍団が去った30分後には既に火災旋風が巻き起こったという。その後行われた第二次攻撃は爆撃が終わったと防空壕から出てきた市民と消防隊にとって不意討ちとなった。

2月14日1時23分に始まった第二次攻撃でランカスター重爆529機が殺到し、25分間で1800トンの爆弾、焼夷弾が投下された。第二次攻撃だけで東京大空襲に匹敵するとてつもない数字である。

その日の昼、今度は米第八航空軍B17爆撃機311機をもって約800トンの爆弾がドレスデン市内西方のフリードリッヒ操車場に投下された。しかし操車場はまたしても面積が広すぎたため、限定的な被害しか与えられなかった。

最悪の結果を生んだのはイギリス第五爆撃航空群による二波攻撃であり、美術史上きわめて価値の高い多数のバロック建築物を含むドレスデン中心部がほぼ灰燼に帰しただけでなく、全戸数22万の住居のうち7万5千戸が全壊、1万1千戸が使用不能となった。つまりドレスデンの住居破壊率は40%に達した。

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廃墟に転がる人々の遺体

死亡者は諸説あるが35000という数字が最も有力視されている。ただこれは最近の研究による推測で当時は数十万人の人々が焼け死んだのではないかと判断された。この黙示録的テロ空爆により、英国本土で都市空爆に対する激烈な反対世論がまき起こり、以降英軍による大規模な都市空爆は行われなかった。

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一家全員丸焼き

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ドレスデンの死者

だがこれは英軍に限った話で、ドレスデン空襲の一ヶ月後には米空軍によって東京大空襲が行われた。

4月16日米英軍統合参謀会議は、欧州での戦略爆撃が成功裡に終了したと声明した。それはドレスデン型の空爆の中止を意味していた。

第二次大戦中に米英軍がドイツ全土に加えた史上空前の空爆はのべ400回、死者数は60万人に上るといわれ、そのうち7万5千人が子供であった。

火焔地獄を巻き起こした司令官たちで、戦後訴追された者はただの一人としていない。

世界戦争犯罪辞典
ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945