残酷戦場写真館 ⑦

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19世紀後半からオスマン帝国においてロシアなどのキリスト教勢力が影響力を増してくると、オスマン帝国内部のキリスト教系民族アルメニア人とムスリムの間でたびたび衝突が起こるようになった。

第一次世界大戦のころムスリムの極右の軍人がアルメニアうぜえ!ぶっ殺そうぜ!と決めてしまったからさあ大変。

アルメニア人の粛清は軍官民一体となって行われた。運悪く第一次世界大戦時であり、民兵が武器を山ほど持っていた。そんな時為政者たちは民が勝手にやったことでおれたちは知らないもん〜と簡単にやれるので民兵に武器を流したり裏で操ったりするものなのだが、アルメニアジェノサイドでもこれが正にある。

アルメニア人は迫害を逃れるためロシアに流入していき、ますますアルメニアの野郎ども、ロシアと手を組んでやがる!とデマが飛ぶのを防げなかった。

アルメニア人の粛清は主に銃殺と今のシリアの砂漠の強制収容所に送り込むことであった。また女子供に対する拷問は日常で、囲んで飢餓や疫病に追い込むところも、後続のジェノサイドとやり方がほぼ同じであることが興味深い。

写真はトルコの都市マラティアで磔刑にかけられた16人のアルメニア人少女の写真である。なんともアンホーリーかつ禍々しい。この手の込んだ殺し方には純粋培養された憎悪を感じて仕方がない。

アルメニア人の虐殺は「忘れられたホロコースト」と呼ばれることがある。誰もアルメニア人を助けようというものはいなかった。トルコ政府は今でもジェノサイドを認めていない。

かつてヒトラーもこう言った。
「今日だれがあのアルメニア人皆殺しをおぼえているだろうか?」
この発言の二年後、≪フューラー≫はユダヤ人の絶滅を命令する。
参考
アルメニアの少女

http://www.frontpagemag.com/2013/raymond-ibrahim/the-forgotten-genocide-why-it-matters-today/

http://www.beliefnet.com/columnists/watchwomanonthewall/2013/04/the-1915-armenian-genocide-why-is-it-still-denied-by-turkey-and-the-u-s.html